キハ22現役時代 |
無性に懐かしくなり昔のアルバムを開いてみました
何れも1980年代に撮影したものです
ディーゼルエンジンは日本の弱点のような存在ですね。DMH17系エンジンに依存し続けたのもその結果ですね。船舶の場合は欧州の進んだディーゼルエンジンのライセンス生産で切り抜けていました。青函連絡船の津軽丸、十和田丸はドイツの MAN 社設計のエンジンで快適でした。僚船の大雪丸や羊蹄丸のデンマークのB&W社設計のエンジンでしたが、振動が大きかった印象を持っています。時化るとエンジン性能の良さが露骨に出るので、冬は津軽丸や十和田丸に当たることを祈って青函連絡船を利用しました。津軽丸と十和田丸は浦賀造船所で作られていたことも大きいですね。船は設計以上に造船所の技量に左右されます。三菱や川崎重工の造船所よりも浦賀で作られた船は頑丈で時化や海戦にも強かったと船乗りの世界では語られていたそうです。長い文章ですみませんでした。
当時は関東在住だったため、初の北海道上陸は1982年でした。キハ22現役には何とか間に合いましたが、すでに全車タラコ色でキハ40-100と混結で使用されているイメージが強いですね。札沼線のキハ56充当にはそのような理由があったとは・・・目から鱗が落ちました。他線でも冬期にキハ22に増結または車両振替が実施されていたのはDMH17の非力さ故なのですね。個人的にはあの軽やかなアイドリング音や、力行で猛烈に噴かす割に加速が乗ってこないところに、妙な親近感を抱いてしまいます(笑)