2023年 02月 16日
KATO 781系 交流特急型電車 |
スラントの僚友であり好敵手。
JRがまだ国鉄だった頃、キハ183系スラント車とほぼ時を同じくして活躍したのが781系交流型特急電車でした。
車内アコモデーションが、それまでの寒色系から暖色系に移行した1980年代。国鉄特急と言えば青い簡易リクライニングシートの慣例を打ち破る、薄茶色のシートが目を引いたものでした。
実のところ回数的に見れば、僕はキハ183系より781系の方が圧倒的に乗る機会が多かったです。当時のエル特急『ライラック』は室蘭〜旭川を直通運転していたから、懇意にしていた室蘭ユースと富良野ホワイトユースや塩狩温泉ユースの間を行き来するには、格好の列車だったわけです。
また、札幌近辺で空白の時間があると『ライラック』に乗り込み、岩見沢や苫小牧まで意味もなく往復しては、車窓を楽しむなどしていました。いま思えば、特急の自由席が乗り放題だったワイド周遊券さまさまでしたね。
781系といえば、地上駅時代の旭川でのイメージが強いです。なぜか僕が乗る富良野線はいつも『ライラック』への接続が絶妙すぎて、あの長くて狭い地下通路をよくダッシュしたものでした。離れのような位置にあった富良野線ホームから地下通路を進んでいくと、突き当たりにはステーションデパートの改札口がありました。この手前左側の階段を一気に駆け上がれば『ライラック』の待つ1番線ホームなんですが、息も絶え絶えになっているので仲間内では「心臓破りの階段」などと呼んでいたのを懐かしく思い出します。
荘厳な駅舎で有名な旧室蘭駅に停車中の懐かしいシーン。当時は鐵原コークスのS-304がまだ現役の時代。781系は蒸機とコラボした最後の電車特急と言っても過言ではありません。
by otokoyama1an
| 2023-02-16 15:00
| 国鉄時代
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Comments(2)
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by
mitaka
at 2018-03-23 02:02
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こんにちは!781系は保存されなかったのは残念ですね。781系と言えば、L特急ですね。北海道では必ずL特急と呼ばれていましたね。L特急と言う呼称が最も定着していたのは北海道だったと思います。高校の時、当時の札幌運転区に社会見学としてグループで訪問しました。当時新車だった781系の試作車編成と481系1500番台、キハ82-1に主席助役の案内で乗せていただきました。運転士出身の助役さんから、運転方法を教えていただきました。帰り際、動労青年部の人たちと一緒にジュースを飲みながら歓談しました。「国鉄に就職するなら、ぜひ動力車労組に入って欲しい。運転士になるのなら是非」と勧誘されましたね。
781系は保存されませんでしたが、北海道L特急の元祖クハ481-1508は国鉄色に戻されて新津鉄道資料館で大切に保存されていますね。485系1500番台は「白鳥」として短期間走り、それから渡道しましたから、新潟こそが故郷かもしれません。
781系は保存されませんでしたが、北海道L特急の元祖クハ481-1508は国鉄色に戻されて新津鉄道資料館で大切に保存されていますね。485系1500番台は「白鳥」として短期間走り、それから渡道しましたから、新潟こそが故郷かもしれません。
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otokoyama1an at 2018-03-23 10:12
mitakaさん、こんにちは。 北海道は長距離DC特急=特別急行、近距離EC特急=エル特急と明確に区分されていた気がします。かつて地上駅時代の札幌では「いしかり」ではなく「エル特急」とアナウンスしていましたね。781系の保存については本文に追記したように個人所有で4両(車体のみ)が残っているようですが、小樽市総合博物館あたりで何とかならなかったのかなと悔やまれます。既存の保存車の維持だけでも苦しい台所事情があるとは思いますが、東日本管内の車両は引退後も優遇され、北海道の車両は冷遇されるという文化的地域格差は何とかならないものでしょうかね。キハ183の保存がクラウドファンディングでクローズアップされていますが、もしこれが東日本管内だったら訳なく自社で保存してしまうのかもしれません。